来年が来たら最愛の彼女と別れて4年。
ふたりでいたときの私はひとりが苦手だった。
ひとりで眠る、ひとりで食べる、ひとりで居る。
どれもさみしかった。
別れてからの4年はいま思えば、
ひとりのたのしさを知る旅路だったと言える。
12年間つき合っていて突然フラれてしまった私は友達に守られた。
マダムは私に「とにかくていねいに暮らしなさい」と言った。
私は突然はじまった自宅でのひとり暮らし、
マダムのことばを呪文のようにくり返しながら、
ふたりのとき以上にていねいに毎日ごはんを作った。
苦手なひとり暮らし。ごはんはおいしくないかと思いきや、
自分が食べたいものを自分に作ってあげると案外おいしい。
食べて寝て毎日仕事場に通っていると、土日以外はそれほどさみしくない。
マダムから「部屋を快適にしなさい」とつぎなる指令が送られてきた。
私は布団カバーやラグを自分の好きなアースカラーで統一してみた。
灯りは天井に備えつけてあった蛍光灯でなくスタンドライトにした。
スタンドライトは私の苦手な蛍光灯でなく電球。
これだけでだいぶくつろげる。
私が一番くつろげることはなんだろう?と考えた。
私は音楽だなと思った。
寝るときはiPhoneとヘッドフォンで音楽を聴いて、
それ以外、友達が来て一緒にごはんを食べるとき、机で仕事をするとき、
そんなときもヘッドフォンに負けないいい音で音楽が聴きたかった。
私はいまどき珍しい有線のヘッドフォンを買った。
Bluetoothより有線の方がいい音だと感じたから。
そして、私としては過去最高の値段のオーディオを買った。
ラジオ、Bluetooth、CD、USB、AUXを聴けるものをがんばって買った。
パソコンも比較的音のいいものを選んだ。
仕事の時間も寝る前の時間もパソコンとSpotifyで音楽をかけてスピーカから流す。
Spotifyのアルゴリズムに身をゆだね、新しくお気に入りの曲をコレクションする日々。
私はドラマや映画も観たくて、テレビと録画用のハードディスクも買った。
ドラマや映画は時間とか余裕の残量の関係で頻繁には観れない。
その代わりそれほど長くない美術や音楽や料理の番組を録画して観ている。
いろんな方面の友達が私を心配して、私を外に連れ出してくれた。
激しくインドア派の私を私の知らない街へ誘い出してくれる。
友達が家にお招きしてごはんを作ってくれる。
そして、私も友達を自宅に招くようになった。
ごはんは誰かと食べた方がおいしい。
ごはんは食べてくれる人がいる方が作っていてたのしい。
いちばん苦手なのがひとりごはんだった。
私は友達の好意に甘えて、ごはんはなるべく友達と一緒に食べるようにした。
ひとりになってわかったのは、
私は夕ごはんのときに彼女と会話するのをたのしみにしていたと言うこと。
それが毎日あたり前すぎて、ふたりのときは気づかなかった。
仕事から帰るとき、ひとりで夕ごはんを食べるとき、
私のなかに彼女に聞いてほしいことが溢れた。
1年経っても、2年経っても、3年経っても。
そしていつの間にか仕事の帰り道も夕ごはんのときも、
私は彼女に話したいとは思わなくなった。
毎朝目が覚めて近視でぼやける天井を見つめながら、
自分の家を彼女の家と間違えることもなくなった。
ベッドで彼女を探すこともなくなった。
それでも今も私は神社で彼女の健康としあわせを祈り続けている。
私を誰よりも大切してくれた人。
彼女以上の人を見つけるのは大変に思う。
彼女以上でなくてもいいと思っている。
彼女を諦めることができたのと同じぐらいだろうか?
私はひとりでもさみしいと思わなくなった。
さみしいと言う気持ちは「つい」になる誰かを持つ人のための感情なのだろうか?
孤独はさみしいと聞く。
さて、それは本当だろうか?
私はいま、予想に反してひとりがたのしくなっている。
ひとりに慣れ過ぎて、ふたりでうまくやっていけるだろうか?
彼女はひとりでどこまでやれるか試してみたいと言っていた。
彼女はキレイな人。本当にいまもひとりでいるか?あやしいと思っている。
ひとりでもふたりでもいい。
どちらにせよ、しあわせでいてほしい。
私はこの夏、結構本気で恋をしたが実らなかった。
もうしばらく恋活などしないで、レズの友達を増やしてたのしく過ごしたい。
私は見た目がキレイでもカッコイイでもないから、
友達からはじめる方が良さそうだ。
彼女と別れるとき、つぎの人を見つけるのに苦労しそうだと予感した。
その予感はあたって私は売れ残っている。
今年の春からはじめた恋活がなるべく早めに終わってほしい。
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